自然な碗形の器体の総体に施釉された鉢です。南宋期に龍泉窯でつくられたものですが、灰色味のある釉色からはその端緒が越州窯に強く影響を受けていたことがうかがわれます。胎は強固で無骨なつくりですが、施文は片切彫りで刻花文が施され、その無造作で流れるような線の表現が洒脱な印象を醸し出しています。太くがっしりとした作りの高台は内側が無釉となっており、それもこの時代の龍泉窯と特徴の一つとしてあげられます。
龍泉窯青磁が本格的に日本に将来されたのは、平安時代から鎌倉時代にかけて日宋貿易が盛んだった頃のことです。当時の日本人が目にしたのが、まさに本作のような青磁で、日宋貿易の中心地であった博多の太宰府や鴻臚館の遺構からは、本作に類似する青磁が多く出土されています。後に、砧青磁や天龍寺青磁が茶の湯の世界を中心に日本で尊ばれるようになりますが、我が国での龍泉窯への愛好はここから始まったと云えるでしょう。