晩唐期の長沙窯で作られた水注です。当時の長沙窯の水注の典型とも云える造形ーゆるやかな瓜形となった胴部に太く立ち上がる頸部、八角形の短い注口と把手がつき、底は無釉のベタ底ーとなっています。一方で、本作の注口周辺に施された線刻と緑釉、褐色釉の釉下彩を併用して表現された唐花文は、その大らかで踊るような筆致が大変際立っています。長沙窯の碗や水注には、文字や詩文が書かれるものが散見されます。本作の胴部にも「世友堂」という墨書が見られますが、その意味するところは不明です。
器に筆で加飾をするという加飾技法は古代より存在していましたが、長沙窯において顔料を用いて釉下に文様を描くという大変画期的な技法が開発されたことは、唐以後の絵付磁器の先鞭を付けるものとして注目すべきことです。長沙窯は同時代の越州窯や邢州窯などと同じくその多くが輸出を目的としてつくられた貿易陶磁で、その輸出先は、日本や朝鮮、インドネシア、そして遠くはケニア、タンザニアまでと大変多岐にわたっています。仕向地の好みが反映していることもあり、装飾方法や文様が中国国内で流通する陶磁器に比べてどこかエキゾチックな風が感じられるのが長沙窯作品の魅力となっています。