大唐帝国時代には西の大国ササン朝ペルシアを経由して、遠くギリシャ・ローマの文化が流入しました。それを物語る一品が花弁状に湾曲した口縁部を持つ水注です。この器形は古代ギリシャを中心に地中海沿岸で流行した把手付水注「オイノコエ」の形式を模倣したもので、当時唐王朝に伝えられたササン朝やソグドの金銀器が直接的な祖型であったでしょう。この新出の器形は壁画などに描かれた例もあり、当時の長安の国際色豊かな文化が忍ばれます。本作はそのミニチュアとして作られ、墓中に供されたものと考えられます。
白く精練され緊密に引き締まった胎土に失透性の透明釉を胴下部まで掛け、高温で焼製されたと思われる硬質な白磁です。また本作の花弁のような口縁部の作りや全体的な形状は、金属的なシャープさよりもやきもの的な柔らかさに魅力があります。本品のよく焼き締まった白磁を観察すると、中晩唐から五代にかけて隆盛を極めた邢州窯系の白磁と共通するものがあるように思われるのは非常に興味深い点と云えます。
かつてこの白磁弁口水注は西アジアの影響を強く受けた器形ゆえに、この時代の初期、つまり隋から初唐という年代に比定されることが多くありました。五島美術館やチェルヌスキー美術館に所蔵される忠実な金銀器写しの例は極めて原初的な強い雰囲気があり、これらの作は弁口水注の中で早い時期のものと考えられます。しかし上記の作例は本作と比して、胎土の締まり具合が柔らかい印象を持つ点に差異があり、また隋、初唐の作と思われるタイプは釉の固着がやや甘く、剥離が散見されるのも特徴的です。本品はそういう点が全く見られない完成度の非常に高い白磁となっています。弁口水注は盛唐期に多く造られた三彩や、中唐から晩唐に焼かれた海鼠釉の作も見られることから、白磁の作例も同様に年代に幅を持たせて考える必要があるかもしれません。小品らしい可愛らしさとともに、上記のように学究的な面白さも兼備した作品と云えるでしょう。