「鉅鹿」は北宋の1108年、漳河の氾濫によって埋没したことで知られる町の名です。20世紀の初頭にこの遺跡が発掘されると、その都市遺跡からは官窯のような美しい青磁や定窯のような上質な白磁ではなく、民間で日用された厚手で白無地の磁州窯系陶器が大量に発見されました。
これらは河川の氾濫によって消滅した町という伝承に違わぬように、白い器面に赤い銹のような土銹が水の流れのように入り込んだ、独特の味わいを持った陶磁器でした。特に日本人蒐集家の琴線に触れたため、多くの名品が日本に将来し「鉅鹿」「鉅鹿手」と呼称されて、現在に伝わっています。また欧州ではフランス人コレクターもこの微妙なニュアンスを理解したようで、戦前期に優品が海を渡っています。
このような鉅鹿手の作品の中で、典型的な作例として知られるのが胴部に瓜のような切込みが入った壺です。白化粧土が胴部にかけて施されており、露胎になった底部とのコントラストが面白く映ります。発掘品ではありますが、釉はカセも少なく艶やかで清々しい印象です。赤い土銹はほんのりと入っており、シンプルな白地に描かれた抽象画のようにも感じられます。
近年は宋磁の端正さ、洗練された美質が特に高く評価されていますが、磁州窯の温和で寛容な魅力も中国陶磁の奥深さを示すものと云えましょう。是非座右に置いて、永く愛でて頂きたい一品です。